for rest

山の記録

新緑の四尾連湖

2022/5/14

甲府駅の乗り換えで50分待ったものの、10時前に最寄りの無人駅へ到着。
ザックの紐と靴紐を締め直してからゆるやかな登り坂を歩き始める。

地元の人たちが玄関前の落ち葉を掃除したり、仲間と談笑しながら畑仕事したりしていてのどかだった。
20分ほど歩いて、登山口に到着。

「熊出没注意」の看板にびびりながら入っていく。
一応事前に県のHPで熊の事案を数年分見て、ここは報告に上がっていなかった、とはいえどの山に居ても不思議ではないと聞く。

ここから3時間。休憩時間を含めるともう少しかかる。(登山口手前の案内では2~2.5時間と書かれていたけど、かなり健脚だと思う)

山に登ること自体、今回が2回目で、まだまだ不慣れな自覚があった。前回の2倍くらいの行程になるのでとにかく体力を温存できるように、どこも痛めないように、歩き方や姿勢に気を配ったりしていた。

山道はくねくねしているからか向きによって明るくなったり暗くなったりする。明るくなると気持ちがいいし、暗くなると少し不安になる。
ほとんどの時間を室内で機器に向かって過ごしている普段の生活に後ろめたさを覚える。自然光の作用に感心しながら、なんとなく謙虚な気持ちで歩いていた。

予想通り誰もいない。この山はかなりマイナーらしい。あちこちに目印のテープが貼られて整備されてはいるけど、ヤマレコとかでもこの山の登山レポは少ないし、あってもあっさりしている。レポによると、他の山々に比べて特段眺めがいいわけでもなく、一般的な登り甲斐はそんなにないのかもしれない。

今回の私の目的は登頂ではなく、途中にある湖に行くことだった。
湖自体の良さは(ゆるキャン△界隈で)有名だし、90年ほど前にこの湖のほとりに小屋を建てて暮らしたある詩人のことが気になっていたのもある。

一度、この湖には駅からタクシー往復で来たことがある。
湖畔の宿でたまたま彼の詩集が目について読んだとき、湖の風景とあまりに美しくリンクし、昔の人の豊かな感覚が流れ込んできて衝撃的だった。詩で涙が出るほど感動したのは初めてだった。

その後詩集を入手したので(版元のコールサック社に注文したら24時間も経たずに届いた。直販だからにしても早すぎて並々ならぬ熱意を感じた)、いつか着物姿の彼が歩いたであろう山道を辿ってまた湖で過ごしてみたかった。

宿もスタッフの方々の人柄が素晴らしく居心地最高なので、登山後くたくたになってても大丈夫だろうという安心感があった。前回に続き今回も運良く、宿泊客は私だけとのこと。


登山口から1.5kmくらい上った地点の、つづら折りのカーブのところで、トレランで下ってきた男性とちょうど鉢合わせ(といっても5mくらい先)になり、不意を突かれてのけぞってしまった。「こ、こんにちは」となんとか声をかけ、男性もすれ違いざまに会釈して走り去っていった。

耳を澄ましながら歩いていたつもりだったのに近距離まで気が付かず、申し訳なかった。それにしても、あんなに静かに走れるということは慣れているのだろうか、こんなマイナーな道をもう下っているということは地元の人なんだろうか。色々思い巡らすと同時に、こういう山で熊よけの鈴を携行していなかったことを反省した。


同じような風景がしばらく続いた。
少し霧が出てきた。朝だけど鳥の声がしない。時々立ち止まって息を止めてみると、木々から露が落ちる音だけが聞こえる。

いくつか、可愛らしい色の山つつじを見かけた。
もやの中にぽつんと立っていて、なんだかすごく幻想的だった。(下山してからもこの色が印象に残ってて、似た色味のリップを購入してしまった)

古い砦があるらしい看板があったのでその方向に行ってみたけど、しばらく歩いても何も見えないし、立派な蜘蛛の巣が張っていて先に進めなくなってしまったので元の道に戻った。(道間違えてた?)

開けたところのベンチで休憩をはさみつつ、湖への道の後半に突入。

だんだん晴れてきて、山道が明るくなってきた。
この日の天気予報は数日前の段階では大雨だったので、宿のスタッフの方から延期するかどうか親切に電話を頂いたのだけど、決行してよかった。
鳥の鳴き声や羽ばたく音も聞こえるようになった。道の脇の木にリスがいた。


4kmくらいの地点で、苔に覆われた鉄橋を渡った。もうこの頃にはポケットのチョコレートをつまみながら、疲れと飽きで割と投げやりに歩いていたところだったので、気分的にちょっと助かった。

もう少し歩くとT字路があって、左と右どっちも本物っぽい道でどっちに行けばわからず焦った。
右の道を行ってみたら湖にほど近い峠に着いたので一安心。おそらく左右どちらの道を行っても後で合流すると思われる。(真偽は不明)


湖には、予定通り登山口から3時間ちょっとで着いた。
見えた瞬間、めちゃくちゃ嬉しくて、一人でわーーーって声あげそうになった。最後の下りはもはや小走りだった。

宿の前の看板。
「此所は天國也 皆様は天人也」

宿の方が優しく迎えてくれた。
案内された部屋にザックを置き、昼食にラーメンを注文し、テラスで一休み。


湖の周囲を歩いて、また一休み。

周りの木々に雲がかかったり、消えたりするのを眺めていた。解放感がじわじわきて、無事にここまで来れて本当に嬉しかった。

最初は私だけだったけど、気づいたら同じように座って何となしに景色を見ている人たちが何組かいた。

この湖は流れ出る川がないカルデラ湖で、なぜか年間通して水量が変化しないらしい。
水が減ることなく、いつもひたひたと満たされている場所。
ゆっくり歩いても一周20分くらい。どの位置にいても対岸が見える、大きすぎず小さすぎないサイズ感。

春あればあなたを思ふであらう
秋あればあなたに触るであらう 而して私は大気の中に喜びと悲しみの種を埋むべく やがてあなたを乗せてこのいかだを天上の湖に移すであらう そこに私達は更に風に吹かれて進むであらう
灯は灰となり いかだは消え 水の国は消ゆるとも その消ゆる日の午後 私達は日陰なつかしき秋の山の午後に下ろされるであらう
天上の湖にありし日の思出をたぐりて 私達は
秋のこの柔かいそよと吹く木の葉の風を聴くであらう そして神のみの織り出すくれないの葉の中に 私はただ あなたをこそ 強く 強く 抱きしめたいと思ふ

「草を見て思ひは切なりき」
野澤一『野澤一詩集 木葉童子詩経 復刻版』コールサック社 より抜粋(原文旧字体


湖に仙人が住み着いているらしい(?)と地元の噂になったり、当時の詩人は、多少奇特に映っていた面もあったらしい。

ただこれほどこの湖にぴったりの詩を書く人は彼のほかにいないのではと思う。相互に引き立てあっているかのよう。水、風、火、灰、星座、歴史、時間、遺伝、彼の紡ぐ言葉から得た色々なイメージが、よりここの空気を有機的に感じさせてくれる。何とも言えない心地良さ。

詩集には縁のある詩友や学者勢による寄稿も収録されていて、皆様の文章から滲み出る温かい人間性、彼に対する思慕の深さにも胸打たれる。

私は新緑の季節が好きだけど、詩には春と秋の描写が多くある。またその時期にも来たいと思う。


夕方になると、対岸のキャンプ場で火をおこしているグループがちらほらいた。揺れる火が湖面にも映っていた。

若干冷えを感じつつも、日が沈む時間まで外でぼーっとしていた。時間帯によって景色の色合いがだいぶ変化する。

山に囲まれているので、基本的にとても静かだけど、意外と飛行機の音がする。多いときは同時に3つの飛行機が見えた。
飛行機が飛んでいなかった昔は、キャンプ場にいても対岸の宿にある時計の針の音が聞こえたという逸話があるらしい。


夕飯を食べたあと少し星を眺めて、お風呂に入って早々に寝た。

 

2022/5/15

翌朝も清々しく晴れていた。

湖の近くにある神社に行ってみた。かの詩人もよく歩いて参拝していたらしい。
宿から徒歩15分くらいと書いてあったけど、遠回りの道を行ってしまったらしく(?)30分歩いても着かなかった。

朝食の時間までに戻りたかったのでだんだん不安になり、戻ろうか逡巡して歩くペースを落とし、カーブの先のほうを覗き込んだ。

そのとき、視界の端でササっと木々が動き、野生の鹿が前方に走り去っていった。

地面を蹴る蹄がこちらまで振動してくるかのように力強かった。後ろ姿しか見えなかったけど、背中全体が白く、角が黒く見えた。(光の加減?)

なぜこんな近距離にいたのかよくわからず、少しの間立ち尽くしてしまった。でもなんだか神々しい生き物を見たような気がして、あやかりたい気持ちでもう少し進んでみることにした。


何とか神社の一帯に辿り着いた。

周りに何の音も人の気配もなく、立派なお堂や大木があり、管理用の看板や柵を除けば、古来の姿そのままで神秘的な雰囲気が漂っていた。(タイムスクープハンターを思い出した)
建物は屋根瓦の重みに耐えられないのか基礎部分が崩れていて、近づけなかった。昔はここで神楽が行われていたらしい。
鳥居も倒れて壊れていた。他の人のブログでは大丈夫だった頃の写真があったりしたので、いずれも近年傷んだものと思われる。

 

戻りながら、途中にある詩人の石碑に立ち寄って手を合わせてきた。
既に「天人」である彼に、いつか(天国で)会えたらいいなと思う。